~おとしものがたり~

私の「おとしもの箱…」

「いただきます」と「ごちそうさまでした」ということ

 私たちは、生きるために基本的に毎日食事をとります。それは、当たり前ですが言い換えると、「私たちは皆例外なく、命を奪って(もらって)生きている」といこと、「食べてきたものによって自分のからだは作られている」ということです。

 「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉の大切さを意識し始めたのは、成人をすぎてからでした。学校の給食では号令がかかるので言っていましたが、それ以降は言ったり言わなかったりと、言ってもろくに意味なんて考えてませんでしたし、ろくに「いただきます」と手を合わすことなく食事に食らいついていたことを申し訳なく思います。キリスト教では食事まえに、「神様に今日も食事をお与えくださってありがとうございます」と「祈り」を捧げますが、私たちは誰が始めたのか手を合わせ「いただきます」と言います。お箸を横に置くのは、手前側がこの世で、奥側があの世という境界を示すためのもので、「いただきます」と言って拝み感謝する文化を築いてきました。まるで、仏壇やお墓参りでご先祖様に手を合わせるように、「私たちがあるのはあなた方のおかげです」ということ、それを忘れず謙虚に生きますという戒めのために「いただきます」という言葉は生まれたように思います。(いや、勝手に思ってます(苦笑)…)

 飲み会の席では、ジョッキを持ち乾杯やお疲れさまの音頭で始まりほとんどの方は手を合わせることなどしないように思います。目上の人に、ごちそうしていただいた時には「いただきます」とその方に対しては言いますが。目のまえの命に対しての感謝は、どこか忘れがちです。独りでの食事でも、「いただきます」と「ごちそうさまでした」と目のまえの命にも、作ってくれた方にも言える人を見ると、素敵だなぁと思います。まだ見ぬ自身の子供にも、勝手ながらそんな人になってほしものですね。(^^)”

 皆さんも改めて「いただきます」という言葉の意味、「ごちそうさま」という言葉の意味を噛みしめながら食事を楽しんでみてくださいね。(えっ!?  余計なお節介だ?―そうですね(^^)「良ければ」ということで。。。(゜゜)(_ _  )ペコッ )

 

 

手を合わせて ありがとう
その気持ち込めて 「いただきます」

 

お魚さんも お肉さんも お野菜さんも 作ってくれた人も
みぃんな 喜び あなたのチカラになってくれる

 

手を合わせて ありがとう
その気持ち込めて 「ごちそうさま」

 

お魚さんも お肉さんも お野菜さんも 作ってくれた人も
みぃんな  もっと喜んで あなたを健やかに育んでくれる

 

そんな風に 伝えたい
大事な我が子に 伝えたい

 

そんな風に 繫げたい
大事な未来に 繫げたい

 

誰かが伝えた このこころ
誰かが繫げた このこころ
日本で生まれた このこころ

 

「いだだきますとごちそうさま」